遊行
鎌田實氏の「遊行を生きる」という本が出ました。
70歳を前に、自分の生き方に対して、はたして本当に自分自身を生きているのか、
死ぬ時に後悔するのではないか、壁にぶち当たり、悩んだそうです。
私も、何で生まれてきたのか?生きるという意味は?人生とは?
疑問だらけで、その探求で密教の修行までしたくらいです。
そして、常に心の根底にその疑問はあり続けています。
私の好きな作家の五木寛之氏も、自分で心の探究をして、それを書いています。
五木寛之氏は、人生にはたして目的はあるのか?と疑問を投げかけてきます。
苦しくても辛くても、耐えて生きていくことこそが人生の目的なのでは。
生きていなければ、何も起こらないし、何も変わらない。と。
鎌田實氏は、五木寛之氏の自分自身の内に向かうのとは反対に、
外に出ていこうと。どうせいつかは死ぬのだから、野垂れ死んでもいいくらい
自由に、はじけて生きていこう。やりたいことをやれば、面白いことができ、
結果社会の役にたつのではないか。と。
タイ仏教のスマナサーラ長老は、また違った角度から話されます。
私達は、その心のゆえに、常に考え疑問に思ったりしていますが、
けっこうそれは妄想だと。本当にこころは厄介で、お釈迦様も9割は
こころについて話されたと。
自分自身のこころは騙せませんので、
少しでもこころが成長するよう、
長期の忍耐を養いながらいこうと思っています。