麻央さんのご冥福をお祈りいたします
麻央さんが、34歳という若さで亡くなりました。
娘と同じ年だったので、他人事ではなく、とても心配していました。
愛する人を亡くす悲しみは、言語では到底言い表せません。
娘は、去年大学時代の親友を卵巣癌で亡くしていますし、
私の親友も、お嬢さんが31歳の時、大腸癌を発症して亡くしています。
特に将来のある若い人の死は、残された者は、未来を失ったように感じられ
なかなか立ち直る事が出来ません。
私自身、母を亡くした後、膠原病を発症し、
父と彼をほぼ同時に亡くした後は、リュウマチを発症しました。
ずっと仏教の勉強をしてきても、何をしても
愛する者の死に直面した時、何のなすすべもないのです。
また、ブッダがいう四苦の生老病死は、誰も乗り越えられないと。
そして、そのことはみんな知っているのに、どうにもならないのです。
(箭経(せんきょう))
人が死を乗り越える困難は、お釈迦様は、じゅうじゅうご存知で、
死に関しては「箭経」というお経まであります。
まさに矢(箭)が刺さって死にそうな状態にあるといったお経です。
この中で、人は悲しんでいると何十年も悲しんでいられると。
愛する者を忘れるのではなく、刺さっている「悲しみの矢(箭)」だけ
抜きましょうと。
愛する人の死から5年経って、やっと、悲しみの箭は抜こう
と思えるようになってきました。
(癌の宣告)
医学が進歩し、癌も助かるようになってきましたが、
それでも、私達にとって、癌の宣告=死の宣告に等しいです。
60歳を過ぎたら、いつ癌を宣告されても仕方ないと心にあっても
実際どうでしょう?
覚悟していたが、実際に癌を宣告され、どのように過ごしたら
いいのかという質問をスマナサーラ長老にしている記事を読みました。
スマナサーラ長老は、生老病死は、この身体の細胞の本性であると。
生きられるか、死ぬかは、自分たちの管轄外の問題で、
細胞達は、本質である生老病死の流れで変化し、
自分勝手に壊れて死を迎えるでしょうと。
身体は壊れても、こころは健康に保つことができると。
細胞達は穏やかに生きていて、寿命が終わったら壊れてしまう。
それなのに、生きていたいという存在欲が、細胞が壊れていくのが
悔しくなり、怯え、心配し悩むはめになる。余計な感情のせいで
細胞の寿命は延びるどころか、反対に縮んでしまうと。
だから、こころを健康に、清らかにして、存在欲をなくすと
細胞達は、自分の寿命を全うすると。
ブッダがいう「こころ」という表現の解釈は難しく
生きるということは、こころの働きで、身体を動かしているのはこころである。
そして、こころは対象を知る機能であると。
誰のこころも本来弱く、こころは成長したくなく、怠けたいものだそうです。
こころは、放っておくと堕落するので、放っておいてはいけないと。
こころのことを原始脳と大脳からみていくのは、とても興味深いものが
ありますが、長くなるので、また後日